皆川Rとは?
Big4現役コンサルタント
Youtuber
管理人皆川の自己紹介です。
現在、某Big4コンサルファームで働きながら趣味でYoutubeチャンネル(収益化なし)を運営しております。
Youtubeでは、主に、管理人・視聴者様からご提供いただいたコンサル転職体験談、その他コンサル生活の疑問についてお答えしています。
また、Youtubeでは視聴者様とのコミュニケーションを一つの目的としているため、TwitterのDM、質問箱、メール等でご質問やご相談を頂けると幸いです。
現実の生活はストレスフルなので、Youtubeで現実逃避をしております。
<目次>
<社会人の皆川>
職歴等
MARCH法学部卒業
→国家公務員(中央省庁一般職) 約4年
→Big4コンサル(ビジネスコンサル)
パブリック、IT、金融等複数のインダストリーで業務改善系コンサルの実施
また、パブリックではPFI系のアドバイザリー業務にも従事
→Big4監査法人(IT監査)
マネージャーへ昇格を機にIT監査にジョブチェンジ(グループ間の転籍)
→Big4コンサル(セキュリティコンサル)
IT監査の傍ら、コンサル経験を買われ気づいたらセキュリティ系の業務が増え、コンサルに舞い戻る
国家公務員時代の皆川
私は、新卒で国家公務員となり霞ヶ関の某省庁で社会人生活をスタートさせました。
<公務員を選んだ理由>
そもそもなぜ公務員になったのかというところですが、当時は結構な不況で民間企業への就職が難しそうだと感じたからです。
公務員は、筆記試験というわかりやすい指標が選考基準になっており、努力さえすれば受かると考えたため、より容易に就職できそうな公務員を目指しました。
また、特定の企業で、自社の利益のために働くということに違和感も感じていました。
せっかく働くのであれば、会社のためでなく、国民のために働きたいと考えました。
公僕という考え方は自分にあっているのではないかとも考えたのです。
一方で、私は少し変わり者の性格をしていることもあり、公務員に就職しても、なじめずにいつかは転職するのだろうと漠然と考えながら公務員生活をスタートさせました。
<公務員生活>
実際に、公務員として働き始めると、業務の無駄が目に付くようになりました。
公務員は手段の目的化が多いこと、また、コストという概念がないため、無制限にリスクヘッジをするための施策をうちます。
そうやって、無秩序に無駄な業務が増えることに非常に違和感を感じました。
公務員時代は、会計課、自治体向けの補助金交付業務を実施する企画系の部署を経験しました。
両部署とも忙しく、終電まで働くことは日常茶飯事で、霞ヶ関が不夜城と呼ばれる所以を身をもって知りました。
また、企画系にいた際は、いわゆる国会対応をかなりの頻度で実施していました。
国会対応では、仕事がなくとも待機解除になるまで退庁ができず、働くことの無意味感を募らせることとなりました。
<働くことへの限界>
公務員として働き始めて3年程度経ったぐらいから仕事にも慣れ、惰性でこなせるようになってくると同時に、息苦しさも感じてきました。
なぜ公務員として働いているのか、自分の仕事になんの意味があるのか自問自答するようになりました。
転職直前には、毎朝の出勤時に、官舎が大変立派な墓場のようにみえ、自ら墓場に足を運んでいる感覚となっており本当に限界を感じていました。
ただ、職場環境が悪い等特筆すべき問題があったわけではなく、兎にも角にも息苦しさを感じていたのです。
転職活動を始めた皆川
<転職活動を始める>
公務員から民間企業への転職は少ないと思われる方も多いと思います。
しかし、民間企業ほどではないですが、事例は結構あります。
私の公務員の同期は50名以上いましたが、10名以上が転職しています。
そんな環境もあってか、公務員生活3年目ぐらいには、すでに数名が転職をしており私もなんとなく転職を意識し始めました。
気分が落ち込んださいに、勢いで転職サイトに登録したことで転職活動が始まりました。
転職自体は現実的に考えていたわけではないのですが、とりあえず登録だけでもしておこうと、自分の市場価値を図る意味でもと思ったのです。(完全に、転職会社の思惑に乗せられていました)
転職する気はないけど、定期的に転職サイトの求人に目を通してまして・・・
転職してみたいと思える企業の求人があれば応募してもよいのかなとだんだん思うようになってきて・・・
この企業だったら、転職するのもありかもしれない。
ためしに、この企業だけ受けてみたいという思いが出てきました。
そうやってだんだんと気持ちが転職モードに入っていったのですね。
こういった経緯から転職活動がなんとなく始まりました。
ちなみに当時の転職希望理由としては、①年収を上げたい、②同期が次々と辞めてく環境、③業務内容に対する不満の3つでした。
転職希望理由①年収を上げたい
また、当時は結婚を前提に付き合っていた彼女がいたのですが、将来的には専業主婦になることを考えているみたいで、
東京で暮らすためには、私の給料だけではちょっと厳しい・・・
東京で一定程度以上の生活水準を維持するのに公務員の給料では心もとないのは事実です。
キャリア官僚の最終的到達点は事務次官ですが、それは稀で、平均では部長・審議官クラスです。
部長・審議官の年収は約1300万ぐらいからです。
この1300万だって、天下りの減少によって50歳過ぎてからなるのが普通になってきました。
なんなら定年ちょっと前になれる人も多いぐらいです。
課長に到達するのも40歳過ぎてからが多いです。課長の給料はなんと900万スタートです。
ノンキャリアの最終的なキャリアは良くて課長クラスです。
課長になれず終わる人が大半です。
課長になった場合、1000万ちょっとです。
しかもノンキャリアの場合は定年間際で課長になれるので、東京で暮らしていく給与水準としてはあまり高いとは言えないと思います。
もちろん課長になれない場合はもっと低く600から700万程度です。
残業をめいいっぱいすれば1000万を超えるか超えないかですが、その辺が限界です。
どの程度の生活水準を求めるかによりますが、個人的には東京で暮らしていくには世帯収入は40歳になる前に1000万は必須と考えているので、公務員でいる限りは奥さんが専業主婦で東京で暮らしていくのは非常に厳しいのが現実でした。
転職希望理由②同期が次々と辞めてく環境
当時は、同期が次々と辞めていく職場ってどうなんだろうって思っていました。
考え方によっては自分の職場を否定されているようにも感じます。
職場に不満があるから転職するわけですし。
一方で、転職することが当たり前という感覚にもなってきました。
成長するため、キャリアアップするために転職することは当然のことと考えるようになりました。
転職希望理由③業務内容に対する不満
これは、上述済みなので割愛です。
コンサルへの転職を目指す皆川
<コンサルタントを目指し始めたきっかけ>
私の周りで転職していった同僚の大半がコンサルティングファームに転職しています。
コンサルの業務はサービス対象の幅が広いために様々な業界をバックグラウンドに持った方を必要としています。
そのため中途採用が活発で、しかも、他業界からの転職を歓迎しているため未経験でもチャレンジできるのです。
また、常に人手不足の業界でもあります。
また、コンサルによっては官公庁向けのコンサルも多いため、そういった意味では公務員であることは、場合によっては有利に働く可能性もあります。
さらに、コンサルは高学歴で地頭がある人材を求めているのでキャリア官僚との相性が抜群です。
逆にコンサル以外に年収を上げつつ転職できる業界がほぼありませんでした。
そんなこともあり、自然とコンサル一択の転職活動となりました。
<コンサル転職開始>
当時の私は、コンサルのことをほぼ何も知りませんでした。
Big4もアクセンチュアも知りませんでした。
マッキンゼーを辛うじて名前だけ知っているレベルでした。
こんな浅いところから始まった転職活動です。
とりあえず、応募できるところに応募しまくり、Big4全てとアクセンチュアの面接を実施しました。
結果、いくつかから内定をいただき、最終的にBig4のビジョンコンサルタントになれました。
国家公務員からコンサルへの転職体験談(ブログ)
実際に皆川が国家公務員からコンサルへの中途面接を受けた際の転職体験談のブログは次となります。
なお、ブログはYoutubeで動画化しています。動画リンクは各ブログの下段に置いています。
コンサルタントとしての皆川
仕掛中
Big4コンサルからBig4コンサルへの転職体験談(ブログ)
実際に皆川がBig4コンサル時代にBig4間転職を試みて中途面接を受けた際の転職体験談のブログは次となります。
なお、ブログはYoutubeで動画化しています。動画リンクは各ブログの下段に置いています。
Big4コンサルから事業会社への転職体験談(ブログ)
実際に皆川がBig4コンサル時代に事業会社への転職を試みて中途面接を受けた際の転職体験談のブログは次となります。
なお、ブログはYoutubeで動画化しています。動画リンクは各ブログの下段に置いています。
<プライベートの皆川>
ブロガーとなった皆川
国家公務員からコンサルに転職したさいに、自身の転職体験談のブログを開設(現在、非稼働)したのが始まりとなります。
ブログでは、転職理由や自身のコンサル生活、資格の勉強等プライベートを中心に記事を作成していました。
ブログでは、数少ないですがコメントやご相談を寄せてくれる方もおり、私の日々のストレスから逃げる場となっていました。
ただ、ネタを思いつかずなくだんだん更新頻度が減っていきました。
ブログを2年ぐらい続けたところで、Youtubeチャンネルを開設しました。
Youtuberとなった皆川
・チャンネル開設時当初のYoutubeのコンテンツ
ブログは粗末な作りでしたが、私の転職体験談に関しては一定のアクセス数を維持しており、コンテンツの強さを感じていました。
そのため、ネタがなく更新ができないブログを勿体なく思っており、打開としてYoutubeを始めました。
Youtubeの当初の構想としてはブログの記事を動画化することでした。
Youtubeになったからといって新しいコンテンツを作るのではなくて、あくまでもブログの動画化というコンセプトで始めました。
そもそも、当時はブログの新しいネタが尽きていたこともあり、新しいネタもなく、また、動画作成という新しい挑戦において、動画作成で手がいっぱいで新しいネタを考えるなんて体力的にもってのほかでした。
そのため、当初はブログの既存の記事の動画化、さらに新しいネタもまずはブログで公開して、それをもとに動画化するというスタイルであり、ブログとYoutubeを完全に両立していました。
ブログは、Youtubeが軌道に乗ってきたタイミングで、記事の大半を削除し非稼働にしました。
Youtuber1年目の皆川
仕掛中